今週のランチメニューをお届けします♪

今週のランチメニューをお届けします♪

【週替わり】
・サラダ野菜(ケール、ケールの茎、黒田五寸人参、きゅうり、ビーツマリネ、大豆)
・玉ねぎたっぷりタルタルチキン南蛮
・アンデスレッドの明太マヨポテト
・冷たいナポリタン
・夏野菜たっぷりトマトカレー
・きゅうりの冷や汁
【日替わり】
火 紅はるかの甘露煮
水 茄子のたたき
木 人参とわかめのきんぴら
金 茄子のひこずり
土 茄子田楽
日 空心菜と卵のオイスター炒め

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守る、のではなく

茄子が好調です!
うちの畑では主に5種類の茄子を育てています。

皮が柔らかく輸送に向かないけれど味は絶品の山科茄子。
滴るほどの水分で生で食べるとたまらない泉州絹皮水茄子。
焼き茄子に最高の新長崎長茄子。
油で調理するととろける翡翠茄子とイタリア原産のMelanzana Violetta Di Toscana。

すべて固定種の茄子たちです。
それぞれに味の個性はもちろん、栽培上の個性もあって一筋縄ではいきません。
皆一様に、生産性?ってなんですか?という顔をしています。
これらの茄子は自家採種していますが、今はまだ種を購入することができます。
でもいつまでこういう品種の種が流通するのか、いつなくなってもおかしくないというのは育てていてよりいっそう強く思います。

固定種、在来種の野菜には「守る」という文脈がついて回ります。
ですが僕はこの「守る」というのがどうもしっくりこないんですね。
野菜は、自然のものではありません。
もとは野生の植物を、人間が人間都合で選抜し改良した植物です。
なので野菜は人間なしには生きられません。人間と、人間の嗜好や文化とともに生まれ生きてきたのが野菜なのです。
だから21世紀になって、物流や小売りや資本主義やテクノロジーが諸々進化浸透して、その大きな流れから振り落とされる野菜が出てきたとしても、それはそれらが生まれてきた過程と構造的にはなんら変わりのないことです。
なのにそれらを「守る」というのは流れに逆らう矛盾した行為のように思えてしまいます。
さらに何かを「守る」という運動が成功した例は歴史的にもほどんどないんじゃないでしょうか。

僕は畑で育てた固定種の茄子を食べるとき、素直に「ああうまいなぁ」と思います。
作業をするときは「なんてつくりにくい茄子なんだ!」とも思います。
そして、それらを選抜し固定したかつての人々の想いを想像(妄想)します。
もちろん、真意は想像の範疇を超えないのですが、僕はそこに自分の農業者としての、人としての未来を重ねたくなるのです。

単純に遺伝資源としての品種を守るということではなく、
そういうものを育ててきた人々の想いが、今もこれからも必要とされる場をつりたい、そういう考えのほうが強いです。そのためにレストランをつくり、ただうまい茄子を出すだけでなくそれはこういう品種なんですよ、と自分たちの口で説明しているのです。
茄子に限った話ではないですが、それらが必要とされる場をつくり続けることができれば、もしかすると消えゆく野菜の生きる意味が生まれるかもしれません。

これが単なるあがきなのか、そうでないのかはまだわかりませんが、
その答え合わせをするために命を削ってやったろうと、今日も張り切って畑にお店に向かうわけです。

みなさまにおかれましては、そんな小難しいことは右から左に受け流し、
ただただうまい茄子をお腹いっぱい召し上がっていただければと思います。
今まさにおいしいので!

今週もよろしくお願いいたします!